凛子のつれづれ

歯科で働くこと・組織の在り方を気ままに書いています。

つれづれ52   敬意とハラスメント

 

「そこに愛はあるんか?」と様々なシチュエーションでおかみさんが語りかけているCMがあります。

個人的には元宝塚トップスターの俳優さんがなりふり構わず?コスプレイヤーさながらその役を楽しんでおられる姿がとても興味深く。

 

 

最近、しみじみと思うのは

きつい物言いや高圧的な態度で相手に接することは何一つメリットはないということ。

当たり前のことの様に思えますが、現実問題そう簡単なことではなく。

 

きつい言い方や高圧的な態度をしている御当人は決してそのつもりはない様でして。

しかしながらそのダメージは自他共々、思っている以上に深く大きいのですが。

 

加害者(という表現を敢えて使います)と心に深く大きな傷を負った被害者との受け止め方に大きなギャップが生じています。

 

過去の実体験や、方々から入ってくる情報から感じることです。

 

 

◆改めてハラスメントの定義を考える

 

ハラスメントとは広義には人権侵害

他者に対する発言・行動等が本人の意図とは関係なく、相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、脅威を与えることを指します。

 

その種類は実に多岐にわたります。

 

ここで、注意しなければいけないのが

ハラスメントはその行為をした(加害)人がどう思っているかに関係がなく、

相手が不快な感情を抱けばハラスメントとなるという事実です。

 

受け手が不快と感じた時点でハラスメントになるということ。

 

私も今までに体験したことのない体が震える程の不快感と抑圧感だったので、今思えばあれはそこそこのモラハラだったんだなぁと振り返ります。

ただし、御当人にとってはごく日常のひとコマであったであろうことも推察はします。

いつもなら気にならない取り留めのない言葉がきっかけで体が震えだしフラッシュバックした時にはそのダメージの大きさに我ながら驚きました。

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◆自覚がないから質が悪い

 

大抵の場合、加害行為をする当事者は、ほぼと言ってよいくらい

「そういうつもりはなかった」とおっしゃいます。

 

でしょうね。

 

だから、困るんです。

それにより、どれほどの人が心痛め、

眠れないほどの神経の高ぶりを感じ、不安にさいなまれ

体のあちこちに不具合が生じていることか。

 

仮にその場を離れたとしても、

後々トラウマとなって何かのきっかけで当時の不快感を体感してしまう恐怖。

 

恐らくは、当事者でないと理解しがたいことでしょう。

一人一人の状況も異なりますし。

 

軽いものからダメージの深すぎるものまで様々ですが、この手のハラスメントは日常に存在します。

多かれ少なかれ経験があるかもしれません。

 

御当人がそのつもりは決してなくても

一人の人に与える影響は大きいのです。

 

だからこそ、言い方や態度に気を付けなければいけないのですが。

 

これは何も上長だけの問題ではありませんから。

対人との関りの問題です。

 

職場でも家庭でもその他対人のある所どこでもです。

誰もが加害者になり得ることです。

 

私も何かしらのタイミングで加害行為に回りかねないことです。

自分は『決してそうなるまい』と思ってはいても。

「つもりはなかった」からと済まされるものではありません。

 

◆ハラスメント行為に欠けているもの

 

これはひとえに相手に対する敬意の有無だと考えます。

 

無意識にでも相手を見下した態度や、

「お金を払っているんだから」という有言・無言の圧力

「やって当たり前」の精神

働きに対する感謝の欠如

「○○はこうあるべき」というべき論に偏った要求等々...

 

果たしてそこに相手への敬意は存在するのでしょうか?

相手に対する敬意がある人は、自分の言動に注意を払うことができると思うのは気のせいでしょうか?

 

◆信頼関係があるならば

 

長年の付き合いや、当事者間の話し合いの中で信頼関係が既に構築されていれば、多少のきつい言い方もさほど気にはならないものです。

その発言に侮辱や侮蔑(この二つ意味合いが異なります)や脅威を感じていないから。

 

相手が「自分の為に厳しく言ってくれている」と感じることが出来ていればそこは問題がないのです。

たとえ周囲がその言動にハラハラしたとしても(笑)。

当事者がそれでよければの話です。

 

 

ハラスメントは実に難しい問題です。

でもそれだけ、受けた側のダメージは個人差はあれど、はかり知れません。

 

退職を余儀なくされても、次の仕事が出来るならまだよいのですが、

仕事が出来なくなるほどのダメージはその代償が大きすぎるものです。

働く意欲さえ奪いかねません。

その人の自尊心や考える力を奪います。

 

実体験を踏まえ

他人にはそうならない様に、自分の視座ではなく

【相手がどう感じるか・感じているか】の配慮をしながら、日々取り組んで行きたいと改めて考える今日この頃です。

 

「そこに愛は=敬意はあるんか?」と問われても答えられるように。

 

 

長文最後までお読みいただきありがとうございました。

凛子