凛子のつれづれ

歯科で働くこと・組織の在り方を気ままに書いています。

つれづれ85 不安と不快

 

過去ブログにも綴っていますが(2022年6月~7月『不』を解消する①~③)

やはり良い仕事をするには組織の内外の様々な【不】を解消することだと改めて思います。

 

先日、患者さん(様)が「前の医院は嫌な感じがしたからそれから行くのを止めた」と教えてくださいました。

人生経験を積まれた方でさえ、嫌な感じ=【不快】は後味の悪いもので、不安やその不快が解消されなければ・解消する努力がみられなければ次はないということを如実に物語るものでした。

 

歯の痛み一つとっても、原因と対処方法が明確になるまでは【不安】でいっぱいです。

通いなれた所ならまだしも、初めてかかる医院ではその不安に加え『どういう医院なのか』という【不安】もあり緊張も高まります。

 

仮にファーストコンタクトである受付の対応が悪ければ、その【不安】は増していくことに。

そういう意味では受付の役割は甚大です。

不安を抱える患者さん(様)を温かく迎え入れることができる受付であれば、それだけで不安の一部を解消することが出来ます。

 

痛みの原因は何か?

対処法は?

今後の展開は?

通院期間や費用は?等

患者さん(様)の知りたい情報を少しづつでも伝えていくことで【不安】は解消されていくのです。

 

逆に

患者さん(様)の話を大して聞きもせず上から目線で断定的に話したり

「あなたが悪い」と否定的な言葉を使ったり

相手が納得する説明をせずに事を進めたりするならば

【不安】の解消はおろか、【不快】を上積みする結果にもなるわけです。

【不快】=嫌な感じです。

相手がこう感じたらおしまいです。

その【不快】が続けば大抵次はありません。

 

こうして人は離れていくのです。

そんなのもったいないことです。

 

患者さん(様)の心理を推し量ることが出来なければ【不安】も【不快】も解消することはできません。

あくまでも主軸は相手です。

こちらの取り組み方次第で【不安】は【安心】に転じます。

【不快】は居心地の悪さです。快適までとはいかずとも安心が得られれば不快が増すことはありません。

【不】は複雑に絡み合って連動しているものであることどうか忘れませんように。

最後までお読みいただきありがとうございました。

凛子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週のコトバ

 

明確な目的があれば、

起伏の多い道でも前進できる。

目的がないと、

平坦な道でも前進できない。

 

 by トーマス・カーライル

   (英国の歴史家・評論家)

 

目的とは実現しようとして目指す事柄です。(出典コトバンクより)

仕事をする上で、目的のある・無しではその質は大きく変わります。

 

『何のために』それをするのか

『何のために』相手に伝えるのか

『何のために』研鑽を積むのか・・・

 

そういったことが明確になっていないと、おのずと仕事は毎日のルーティン、単なる繰り返しの単純作業になります。

毎日が単純であれば当然のこと仕事に面白みがなくなり【つまらなく】なります。

つまらなくなると、刺激や新しいことを求めて外の世界へ眼が向きます。

それが大きくなればなるほど現状に不満が募ります。

負のスパイラル。

 

仕事に限らずですが、行動に目的がなければ成長の機会も閉ざされてしまいます。

『何のために』

これは目的の原点です。

 

凛子

 

 

今週のコトバ

 

その人を見るときに、

言葉遣いを

確かめるといいわ。

 

 by 精神科医Tommy

 

人の第一印象はとても大事なもので

話し方や言葉遣いでその人がどんな人なのかある程度は把握できるものです。

 

自分の口から発するコトバは

『自分はこういうものです』と紹介しているのと同じこと。

だからこそ

お口のきき方には注意が必要なわけです。

 

凛子

 

つれづれ84 伝えるとは

 

自分に向って独り言を言う場合は別ですが

キホン『伝える』ことって相手ありきですから、そこを押さえておかないとコミュニケーションがうまくいかなくなるわけです。

 

伝えることは

ただ単に『言う』こととは異なると考えます。

【何を言っても許される】のは時代的に許容されるものではなく。

もちろん、時代に関わらずではありますが、昔に比せば今は何かと騒がしくなるご時世ですし。

 

『言う』のは考えなしに、ぱっと思いついたまま感情のまま発してしまえばよいこと。

でもその結果は?

前言撤回だの不適切な発言だの後から何かと問題視されているのが現状。

「撤回します」と言ったところで過去の発言は撤回されるわけがないのですから。

むしろ記憶や記録に残るという現実です。

 

コトバの重みや発することへの責任は齢重ねるごとに大きくなるものです。

『伝える』相手がいて言葉を発する場合はコミュニケーション能力が試されるというもの。

自分が理解していても相手に理解されなければ『伝えた』事にはならず。

『言った』だけ。

相手が理解してはじめて『伝わる』のですから。

 

分かりやすい言葉を選んだり

上からの物言いにならないよう気をつけたり

批判・否定にならぬよう配慮したり

感情的にならず穏やかな口調を心掛けたり・・・

まだまだありますが、こうした【相手への気遣い】があって初めて『伝える』作業になるわけです。

 

骨が折れます

頭を使います

しかしながら、決してそれは無駄ではないのです。

ほんとうに。

 

そうすることで相手の表情の変化がわかります。

相手の納得した「うーん」という声が漏れ聞こえます。

安心を得られ態度が軟化します。

そういう変化を感じ取ることができるのです。

 

相手と膠着状態になったり

不穏な空気が流れ周囲に緊張感が走ったり

最悪はお互いが感情的な口論になってしまう

こんなことはごめんです。

精神的によろしくないことです。

 

相手あってのコトバであれば

それは相手ありきのワードのチョイスが必要重要

主たるものは【自分ではなく相手】なのです。

伝えることは

相手に安心と心地よさを与えることなのでは?

『伝える』ことは究極『相手に何かを与える』ことなのかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

凛子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週のコトバ

 

人を信じよ、

しかし、その百倍も自らを信じよ。

 

 by 手塚治虫

 

よく『自信がない』と申します。

経験が少なかったり

苦手なことだったりすると余計です。

その気持ちよーく分かります。

 

後輩たちに言うのは『自信』というのは

何かが出来ることではなくて

自分を信じることなのよと。

 

「やればできる」ではないけれど

「自分ならできるはず」「自分なら大丈夫」と

自分を自分で後押ししてあげることなのでは?

 

誰かに背中を押してもらうことも必要だけど

その前に

自分を信じてトライしてみることです。

 

凛子

 

 

サクッとつぶやく

 

《猜疑心とは》

 

猜疑心:相手の言動や行動を疑う気持ち

Weblio国語辞典

 

こういうコトバを使うとなんなのですが…

組織内や自分が置かれている環境下で人の数が多くなってくると

どうしてもコミュニケーションの機会が減ってくるので、そのいち場面での相手や周囲の言動で判断をしがちです。

 

考え方は人それぞれだからこそ

その人と会話をすることでそれを知ることができるわけです。

 

忙しさや自分が少し疲れていると、ついそのコミュニケーションも怠りがち。

そうなると、自分の中であれこれ考えて悶々としてしまう人もおります。

 

人の言動は自分が思っているほど深くはないこともあるし、その逆も然り。

だからこそ

「?」と感じたことは

「確認なんですが(言い方はこれに限らず)」と尋ねてみればよい。

意外と自分が思ったことではなかったり

ちょっとした誤解や表現の捉え方でもあったりします。

それを悶々と考えていては神経がすり減り疲れ果てるだけ。

 

仮に意見が異なっていれば

「そういう考え方(見方)もあるんだな」で終わり。

それでいいこと。

 

他人は自分が思うほど気にはしていないことが多いですから。

人間関係はお互い様。

疑う前に気になることは確認です。

 

凛子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週のコトバ

 

仕事ができるかどうかなんて

気にしている人はほとんどいません。

愛想がよくて、よく気がついて、

時々お土産をくれる人が好きなんです。

 

 by 秋田 道夫

 

仕事が出来るに越したことはありませんが

仏頂面で、いつもイライラしていたり、機嫌が悪い人ならば

仕事が出来ても一緒に働くとなると微妙です。

 

本当に仕事がデキル人は

感情の波が穏やかで

相手がどう感じるかを配慮して

周囲を不安にさせない言動に努めることができる人なのでは?

 

凛子