《なぜ?どうして?の罠》
時に、相手の言動に???なことがあると
「なんでそういう言い方しかできないのだろう?」とか
「どうしてそういう風にするのだろう?(意味不明〜)」と
なぜ・どうしてを追求することがあります。
なぜ・どうしてを考えること自体は悪い事ではないのですが、
その言動【そのもの】に囚われすぎると
物事の本質に辿り着けないまま、誤解をしてしまうことも。
その、言動の背後にあるもの
それを発した、その行動を起こした当人の意図を【慮る】ことが必要な気がします。
慮る=おもいはかるが変化したもの
【相手】や【周囲】の思いをはかるです。
その基準は自分だけではありません。
自分の基準だけで考えると
相手の言動が「あり得ない」となりやすく。
これに陥りやすいんだなぁ。
自らの失敗も含めて。
自分にとってあり得ないかもしれないけれど、
相手には相手なりの意図や想いがあるはずなのです。
その表現方法が自分には受け入れ難いということで。
もちろん、相手が理解しやすいように言動に注意することは必要ですが、
人間だもの、完璧には難しい。
だから
その言動の背景や根底にあるものに注視するようにすると、多少の理解しがたい言動も
一刀両断、断罪せずに済むはずなのです。
最近は質問系でも
「なぜ・どうして?」を問うよりも
「どうしたら?」と問う方が前向きに思考を刺激すると言われています。
なぜ・どうしては相手や周囲を慮りながら考え、使いたいものです。
一番は相手に、本人に直接確認する事。
それが相手を知る早道なのかも。
凛子