『君の立場になれば君が正しい。僕の立場になれば僕が正しい』
これはミュージシャンのボブ・ディランが語った言葉。
経営者と従業員
院長とスタッフ
職種の違い
先輩と後輩
同僚同士
自分と他人
医院内には常にギャップが生じています。
「この間決まったことなのに、なんでまだやらないんだ」
「もっと経営者目線で考えてもらいたいよね」
「何回言ったら分かるんだよ、何回も同じことを言わせないでくれよ~」
「○○の部署は簡単かもしれないけれど、私たちはそんなことできないし」
「院長から○○さんに言ってください!」
「○○さんの行動ありえなくない?」
きりがないきりがない…そんなことだらけ。
日々の医院運営の中で、如何に双方のギャップを理解し互いに歩み寄り、そのギャップを小さくしていけるか。
それが、常に課題でもあり、なかなか難しいのが現実であり。
ギャップの解消に前向きに取り組む大大大前提として
自分は目の前の相手とは違う生き物だと改めて認識すること
必ずしも自分の常識=相手の常識ではないと理解すること
これに尽きちゃう。
十人十色・千差万別と以前申しましたが、それぞれ感覚・認識が違うんです。
例えば、身だしなみの一つ、髪を整えることに対して
Aさん:髪の毛が一糸乱れぬようにビシーっとピンで留めたりまとめる
Bさん:長い前髪だらーんとしたまま、留めもせず
この二人、両極端ではありますが〔身だしなみ〕という言葉に反応の仕方が異なります。
ビシーッと髪を整えるAさんからしたら
「前髪垂らしたままなんてありえない!」となるでしょうし
ラフなBさんは
「あそこまでしなくてもよくない?」となるわけです。
互いにきっと心の中で
「私だったらあんな風にしない」という思いが。
そう
「私だったら(自分だったら)○○する・しない」
この自分だったらという基準が罠なんです。
それは自分の常識だからある意味絶対。
でも
自分にはできる・考えられることが、相手にはできない・考えも及ばばいからギャップなのです。
だから
自分だったらこうだけど(こう思う・考えるけれど)果たして相手は・周りはどうなんだろう?と相手を断罪する前に、ちょこっとお考えいただきたいのです。
院長であれば
「自分はこう思うけれど、スタッフはどう感じるだろう?」とか
「スタッフにこうしてもらいたいけれど、みんなはどう思うだろう?」
スタッフ間であれば
「私(たち)には簡単だけど、○○には難しいのはなんでだろう?」って
相手に対して「?」の視点が持てれば、そこから確認の会話が始まります。
確認ができると、相手の行動に対しての誤解を解いたり、相手の思いを知ることができます。
意外と、話をしてみると
「なんだ、そういうことだったんだ」的なことが多いですよ。
もちろん、「そういうことだったんだ」で済まない場合は更なるお話し合いを。
院長の〈あり得ん!〉とういう不可解な行動の真意を確認すべく
私とて、日々これで奮闘中ですのよ。現在進行形…
いつになっても、どこに行ってもギャップはつきものですから…
最後までお読みいただきありがとうございました。
凛子